「ヤング・サポーティング・オールド」から「オール・サポーティング・オール」へ
「ヤング・サポーティング・オールド」
「自然界を見たときに、若い個体が老いた個体の面倒をみている動物はいるでしょうか。そんな動物はいません。
ということは、それは自然界の摂理ではないのです。ヤング・サポーティング・オールドという社会の在り方が成立するのは高度経済成長期日本のように若者人口が圧倒的に多い社会の特性に過ぎず、人類普遍の真理ではありません。
小子高齢化が先行したヨーロッパでは、もう30年以上も前からヤング・サポーティング・オールドから『オール・サポーティング・オール』に変更しています。
つまり、年齢に関係なく社会を構成しているみんなが応分の負担をして、シングルマザーをはじめ、本当に困っている人に給付を集中しようという考え方に変わっているのです。」
(「還暦からの底力」P.18,19)
「オール・サポーティング・オール」
「若者が高齢者を支えるのなら、働いている若者に所得税を課し、住民票でチェックして高齢者に優待パスを配ればそれでこと足ります。
昔は若者10人以上で1人の高齢者を支えていたのでそれでよかったのですが、今は騎馬戦(3人で1人)がこわれはじめて肩車(1人で1人)に向かいつつあります。
これでは、ヤング・サポーティング・オールドでやっていけるはずがありません。
働いている人も働いていない人も、みんなで社会を支えるのであれば、消費税にシフトするしかありません。一方、本当に困っている人に給付を集中するためには、マイナンバーを整備して所得や資産を把握する必要が生じます。
つまり、少子高齢化社会においてはヤング・サポーティング・オールドからオール・サポーティング・オールへの発想の転換が必要であり、所得税と住民票で回っていた社会から、消費税とマイナンバーで回す社会へのパラダイムシフトを起こさなければいけないのです。
したがって、次世代を育てる役割を担う高齢者としては、積極的に消費税を受け入れて若者の負担を減らすというのがしごくまっとうな考え方です。」
(「還暦からの底力」P.19)
「敬老の日」の再定義
出口さんは、『多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し長寿を祝う日』ではなく、『高齢者が次の世代を健全に育英するために何ができるか考える日』に再定義すべきだと言っています。
また、『ゾウの時間 ネズミの時間』で著名な生物学者の本川達雄氏の次のような言葉を引用しています。
「...われわれ老人は子育てを支援し、若者が子供を作りたくなる環境を整備する。身体も脳も日々よく使い、自立した生活をして老化を遅らせ、必要になったら互いの介護につとめ、医療費・介護費を少なくし、そうすることにより、できるだけ次世代の足を引っ張らないようにする。」
(本川達雄『生物学的文明論』新潮新書)
今こそ「ヤング・サポーティング・オールド」から「オール・サポーティグ・オール」への価値観の大変革が必要だと痛感した前期高齢者であります。
(「還暦からの底力」P.18)
今思うこと
ジャーナリスト・河合雅司さんは『世界100年カレンダー』(朝日新書)で、「このままいけば、2100年に日本人は“絶滅危惧種”となる」と看破しています。
そうならないために、如何に日本人の遺伝子を次の世代に引き継いでいくのか。
「いったいいつまで働かせるつもりなのか?!」などと能天気なことを言っている場合ではないようです。
僕たち高齢者は必死に働いてこの国を世界に誇る先進国にしてきたと、自負しているのかもしれませんが、そもそも、この国のあるべき姿など考えもせず、利己的な目的から必死で働いてきた結果が、この体たらくです。
その責任を今の若い人たちに押し付けるのは筋違いでしょう。
その為に圧倒的な金融資産を保有している「持てる高齢者」は何をすべきか。
今一度よく考えてみる必要があると思います。