うちの姫ちゃんが僕を睨みつけて怒っています
結論から言えば、僕たち高齢者はこれからも働くことができる間は働き社会を支える側でありたいと思います。
僕たちの親の世代は、この国を灰の中から甦らせてくれたけど、僕たちはそれをうまく育てることができていない。
1991年バブルが弾けたときの僕は33歳。ノンポリと称し、政治的無関心であることが格好いいと勘違いしていた。
いい高校に行き、いい大学に入り、いい会社に入ることがすべてで、そこから先が欠けていた。
会社という小さな村の中で処世に長けることが幸せになる最も確実な方法だという自己中心的な価値観を持ち、友をつくらず、選挙にも行かず、ただ上に媚びへつらっていただけです。
そして、僕たちは、バブルが弾けて崩れ落ちていく経済と、進むべき道が見えず閉塞していく社会を顧みることも一切しませんでした。
その結果、デフレの中で企業は自ら革新していく能力を持たず、下請けと従業員をコストカットの的にして、延々と内部留保を積み上げてきたのです。
当たり前の話しです。
大人と称し、生まれてこの方、自分がいい目に遭うことだけを考えて生きてきた人間が、偉くなっからといって、社会のために、未来のために何をなすべきか、なんて考えるはずがありません。
あとは無難に任期を務め、十二分な退職金をもらって豊かな老後を過ごすことしか考えていないのですから。
それが今のこの国の有り様です。
そんな今の僕たちは「敬老の日」などと悦に入ってる場合ではありません。
僕たち高齢者こそが既存の価値観をぶち壊し、出口さんのいう新しい価値観「オール・サポーティング・オール」な社会に変えていかないといけないという思いを強くしました。
それこそが「還暦からの底力」なのだと思います。
働き続けるための環境整備
僕は今も働いていますが、60歳で定年退職して、同じ会社に非正規で再雇用されました。フルタイムで働いて手取りが14万円くらい。これでは暮らしていけません。
60歳からは貯金を取り崩すことが前提の雇用です。
いざという時のために残しておいたわずかばかりの預金通帳残高が日々目に見えて減っていく恐怖は筆舌に尽くし難いものがあります。
それも65歳なれば解雇となり、まったく収入がなくなってしまうのです。
いよいよ65歳から年金に頼って暮らしを立てていかなければならなくなります。。
幸運にも仕事が見つかったとしても、今の僕のように手取り10万円にも満たない収入となり、やっぱり、年金に頼った暮らしになってしまいます。
少子高齢化で若年層はどんどん少なくなっているのだから、企業が「昇格は40代まで。中高年はできればやめてほしい。」なんて悠長なことを言っていられる時代ではないのです。
即刻、定年制度を廃止し、クォーター制を導入して性別、年齢に関係なく能力に応じた賃金体系に変えていってほしいものです。
そして、シュレーダーの年金改革、厚生年金適用範囲の拡大です。
まずは、ここからがスタートだと思います。
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