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ぼくの書棚

書棚の1段目(積読集)

「還暦からの底力」 出口治明APU学長著

社会とどう向き合うか
定年制の廃止

冒頭、出口さんは「年齢は関係ない。」と断言されています。迷える僕はいきなり出鼻を挫かれてしまいました。そして、定年制の廃止を訴えられています。
人生100年時代の健康で居続けるためには働き続けることが最も重要だとおっしゃっておられます。
同感です。

書棚の2段目(徒然集)

本家の憤り(うちの奥さん語録)

『河豚』は、ふぐと読む。
中国のふぐは河に生息している。
『河に棲む恰幅のよい魚』ということらしい。
『豚』という字は人に対する褒め言葉なんだそうです。
恰幅がいいとか、肉付きがよいとか。
確かに、古代中国の英雄の肖像は腹が出て恰幅がいい。
日本ではこれで『ぶた』と読む。
しかし、漢字のご本家中国人は、これに憤る。
ブタは生き物なのに、なんで『けものへん』やないねん!と。
中国でブタは、『猪』と書く。
すると、イギリス人が憤る。
『なんで、I wanna...やねん。I want to...やろが!
ええっ!あれは英語やないで、米語やで!』と。
確かに。
うちの奥さんの言うとおり。

2003.11.13

沖縄時間

沖縄では時間がゆっくりと過ぎていくような気がする。
10月の休日。
大阪にいるときと同じように遅く起きて遅い朝ごはんを食べてなにかしらして過ごす。
テレビを見たり、散歩をしたり、近所のスーパーに買い物に出かけたり。
そうやって気がつくと、いつもならとっくに一日が終わっているのに、
ここではそうではない。
まだ休日は続いていて、それからまたどこかに出かけようかっていう話になる。
緯度が低く、日が長いということもあるだろう。
でも、時計の針もゆっくりと進んでいるようだ。
たしかに雑音は少ない。
人を惑わせる、いらぬ情報が少ないのかもしれない。
心が惑えば、徒に時は過ぎていく。
なにもなければ、寄り道などすることもない。
自分の思うがままの時間であれば時間もたっぷりあるだろう。
平穏な人生とは何もない人生のこと。
非凡である必要はない。非凡は波乱を呼び寄せる。
早く走れば、それだけ遠くへ行けるのかと言えばそうではない。
早く走れば、それだけ体力を消耗し寿命も尽きる。
結局たどり着いた距離は、
ゆっくり走った人と同じ距離でしかないということもあるかもしれない。
多くのものを見たいと思う人がいたとして、
せわしく駆けずり回りこの星のより広い世界を見渡したとして、
ゆっくりと長い歳月を費やし、いくつものゼネレーションを体験した人と、
いったいどちらが多くのものを見たといえるのだろうか。
時を超えて、次の時代へ。
沖縄にはそんな時間の流れがあるような気がしてならない。

2003.11.6

南無阿弥陀仏...母達の祈り

仏教の教義は、『慈悲』だそうです。
『慈悲』とは、仏、菩薩が衆生をあわれみ、慈しむ心のこと。
衆生に楽を与えることを『慈』、苦を除くことを『悲』というのだそうです。
仏や菩薩という上位者が衆生である僕達の苦を除き、楽を与えてくれる。
他力の思想です。
よく『もっぱら他人の力をあてにすること』を、
『他力本願』っていうけれど、
本来の意味は、阿弥陀仏-仏のひとり-が人間の為にかけた本願のこと。
キリストがこの世のすべての人びとの罪を背負い十字架にかけられたように、
阿弥陀仏が人々が極楽浄土に行けるよう願をかけた。
だから、人は阿弥陀仏に祈ることによりその願にすがることができる。
これが『他力本願』の本来の意味。
力弱い衆生の僕達に厳しい悟りの修行など思い及ばぬことであり、
キリストの如く生きることなどできるはずもない。
みな、煩悩に悩まされ続けて一生を終える他にはなく、
そうであれば、天国に行くなどとても及ばない。
でも、阿弥陀仏を信仰し一所懸命生きてさえいれば、
阿弥陀仏が僕達を救済してくれるということ。
これが『他力本願』。
仏教は、寛容であり優しい。慈しみの思想といえる。
また、仏教は悟りを開くことにより仏、つまり神になることを教えていて
つまり、神は人の数だけ無数にいることになる、多神教。
その根底にあるのは、対立ではなく協調。
今は、宗教的な対立-それをもとにした民族的な対立の時代。
僕達には迷信的で古臭い仏教が意外と新しいのかもしれない。

2003.1.25

哲学のすすめ

この国にはしっかりとした哲学が無いから、
いかがわしい宗教家や、
国旗さえ掲げれば子供に道徳心が宿ると勘違いする政治家が出てくるんです。
宗教といえば、胡散臭くなる。
道徳と言えば、戦前の教育勅語を思い出す。
なんとも困ったものです。
先日も会社で『千と千尋...』と多神教の話しをしたのだけれど、
言ってる本人がなんとなく胡散臭さを感じてしまった。
でも、梅原さんが言うように、この国にはしっかりとした芯が必要だと思う。
ものの考え方の基本になるような、
心の拠り所となるような価値観が必要だと思う。
ちかごろ巷では、コンプライアンスという言葉がかまびすしい。
『法令遵守』っていうような意味だけど、
昨今の企業の不祥事に対する社会の批判から、
企業が身を守るために付焼き刀として言い出した言葉だ。
それはそれで善いことなんだけど、
ひとつしっかりと考えておかなくてはならないのは、
法は、最低の道徳だということ。いや、道徳ですらないかもしれない。
それは、利害の仲裁なのだから、
自分自身の行き方や価値観を決めるものではない。
大切なのは、人としてのしっかりとした哲学を持つこと。
生きていくための指針を持つこと。
時には、世間からの激しい批判に晒されるかもしれない。
また、時には損をするかもしれない。
でも、己が保身の為に法を守るのではなく、
この社会や、この星の為に何かを為すべく積極的に考えること。
企業だって例外じゃないと思う。

2003.1.23

『千と千尋の神隠し』と梅原猛の哲学(稲盛和夫氏との対談集『新しい哲学を語る』)から

八百萬の神々が湯浴みする湯治場...
昔、母がよく言っていた神々が鮮やかに蘇る。
でも、あんなにユーモラスな格好だったっけと、思う。
僕は迷信が好きなのかもしれない。
縁起も担ぐ。
山の神とは奥さんのことだ。
女性はそれほど崇められている。

遠い昔。
人々がもっと自由だった時代。
たったひとりの神が総てを支配しようとする前の遥かな昔。
明るい太陽が輝いていた時代のこと。
人々の周りには、数え切れぬほどの様々な神々がいて、
時には荒ぶる鬼神として、時には嫋かな女神として、
私達を優しく包んでいた。
それが八百萬の神々。
でもそれは、常に畏れ、敬うべき神々だった。
山、海、森、木、岩...
かつてはその総てに神が内在し畏敬の念をもって接せられていた。

現代は、唯一神の時代。
それは、旧約聖書から始まり、
キリストを経て、デカルトへと続く進歩と対立の時代。
プロテスタンティズムは、勤勉を尊び資本主義を開花させ、
その子孫達は、今やその唯一神さえ疎んじかけている。
初め彼らは、自分たち人間は神から創られた特別な存在だと言った。
だからこの世は唯一神が与えた所与の条件として
自分たちの自由にできるのだと。
そして、今や彼らは神の御業さえ手に入れ、
ついには神そのものになろうとしているかのようだ。
一方私達は、その神の御業を手に入れたが故に、
底無しの暗黒に、底無しの恐怖に陥れられようとしている。
様々な毒や、様々な悪意が、
ヒトそのものをも変えてしまおうとしている。

そして、私にとっての神はあなたにとっての悪魔となる。
私の信じる唯一神は、己のみを信じよと、言う。
ならば、あなたの信じる神は神ではないことになる。
そんなはずはない。
あなたが信じ、
そしてその命さえ捧げようとするものが神で無いはずはない。
ならば、神はどこにも存在することになる。
古代日本の八百萬の神々はそれをわかっていた。

道に迷い、不思議な門の前に立つ両親。
なんの畏れも抱かず、興味本意でその中を探検しようとする両親。
そして、目に前にあるからといって、
家主に断りもせず並べられたご馳走を食べ、豚にされた両親。
すべてが自分中心主義、人間中心主義の現代人...私達。
畏れるべきだ。敬うべきだと言っている。
千尋を湯治場に行かせ、その真摯な心で彼らの好意を得させ、
両親を救わせた作者はそう言っている。

私達は神ではない。
宇宙の摂理は、我々とは全く違う次元で時を刻んでいる。
ヒトが地上のすべてを支配したと思ったとしても、
神ならぬ身に操れるものではない。
やがて自らの業に裏切られ、
この地の上で生きることさえできなくなるにちがいない。
でも、それはこの星にとってほんの些細な出来事にすぎない。
やがて気の遠くなるような時を隔てて、
この星はまた昔の姿を取り戻すだろう。
この星にとって、
ヒトという種の一生など
彼女の瞬きの一瞬程も無いささやかなものにすぎない。

2003.1.16

書棚の3段目(詩集)

うたかた

恒なるものは何もない
永遠と信じたこの星でさえ命を持ち
僕が踏みしめるこの大地が今も動いているのなら
人の心が
束の間の恋と移ろいだとしても
それを責める謂れを僕は持たない
昨日まで溢れかえる酔客で賑わっていた酒場が廃虚と化し
今隣りに佇んでいた愛しい人が明日にはその記憶さえも定かならぬとしても
時が刻まれるかぎり
人は去り記憶も風化し森羅万象に死は訪れる
西の西表には真夏の一夜だけに咲く花があるという
その身の美しさも永遠ならざれば
一夜に泡沫と散り
消えていくことでまさにその永遠を手に入れようとするかのようだ
鮮やかに落ちていく花、ハナ、はな...
今は誰もいないこの空虚な空間に
いつか人々の語らいがあり
恋があり
怒りがあり
悲しみがあったことなど誰も思い起こすこともなく
この廃虚に
この場所にまた酔客の嬌声がこだまするのかもしれない
恒なるものはなにもない
あの日永遠と決めた私の一途もいつか私の死とともに
一夜を謳うあの花のように
永遠を求めてうたかたと消えゆくのだろう

2023.4.14

夢の後先

行き先は、彼誰の盛り場。
フラッシュを焚いたように真っ白い路地に人影など見えず、
うたかたの饗宴も遠いある日の夢のように、
幽かな記憶の底に沈んで消えていくばかり。
見えるものといえば、夕べの燃え残りの色褪せたネオンと、
酔客が吐き出した黒いごみの山。
帰り着いたのは、夕べの止まり木。
置き去られた女の嬌声と嘔吐が残る裏路地の軒下。

2006.4.20

浅き夢見し

暖かな
とても暖かな
二月の空に
ぽつんとひとつ
帰りそびれた昨日の雲が
切ない吐息にまた
躊躇した。

2006.4.19

弔い

白いハンカチを握りしめ、
黒い喪服を着たその拳の中にあるのは、
声にはできぬ、嗚咽。
硬く結ばれた唇は動くこともできず、
『特進』
という言葉だけが空しく宙を舞う。
礼装に身を包む警官隊の肩に載り、
静かに進む棺には、
触ることすら憚られるのか。
すがりつくこともできぬのか。
この国の行く末よ。
こんな光景をいつか見はしなかったか。
遠い祖父母の時代。
まだこの国が『帝国』と称していた、
その時代。
幾つもの悲劇を重ねたあの時代に、
無能な官僚がこの国を守ると声高に叫び、
大陸に侵略を重ねたあの時代に、
人々はこうして儀礼の隊列に拳を硬く握りしめ、
『祖国防衛』という空しい大儀の中、
悲しみに立ち尽くしていたのではないのか。
死者よ。
去り行くものよ。
あなたは遠いあの空の向こうで何をしていたのか。
あの砂漠の国で何を考えていたのか。
そして、
何があなたの命を奪い取ることになったのか。
志は真っ直ぐではなかったのか。
『復興』という大儀の下に、
あなたの志は満たされていたのではないのか。
それでもかの地の異教徒はあなたを受け入れず、
あなたに霰のような銃弾を浴びせ、
あなたの夢も費えた。
『志を継ぐ。』と、言う人がいる。
死者の功績を論(アゲツラ)い、
流された涙にはとても届かぬ虚言を弄し、
押し殺された思いを、
軍靴で踏みにじろうとする人がいる。
その『志』はどこにあるのか。
継ごうとするその『志』はかの地の民にあるのか。
『人道』という嘘をまとったわが軍隊よ。
君たちはどこへいくのか。
銃口を構えたままで、何をしにかの地に行くというのか。
願わくば、わが軍隊よ。
己が死のうとも、
正義という名の下に彼の地の幼な子にその刃を振り下ろすことの無きように。

2003.12.18

戦争

戦いはあっけない幕切れとなった。
戦士に死ねと命じた指導者は、
己の命を惜しみ、
夜陰に紛れて、はるか北へと消え去った。
後には、
もの言わぬ屍に泣き崩れる女たちの姿と、
見捨てられた男たちのやり場のない怒り。
そして、
ささやかな幸せを夢見ていた、
少女たちの失くした片腕。
車の上に置き去られた節くれだった手首はどこへ行くのか。
上等なコートを羽織り、
遠い異国の暖かな部屋から駒を動かす領袖は、
解放者という偽善のマスクを被り、
画面の陰で密かにそろばんを弾く。

わたしとあなたが憎しみあって、
闘いが起こるわけでは決してない。
神と神とが玉座を巡り戦を仕向けるわけでもない。

言葉巧みな指導者たちのかざす、
大儀のひとつひとつが憎悪という名の幻想を育て、
戦争という名の殺戮を正当化する。
後には、血まみれの大地と飛び散った肉片。
途方にくれる無力な人々に更なる殺戮だけが残される。

2003.4.11

小さな命

傷つき助けを求めているのは、兵士ではない。
体中に包帯を巻かれベッドで呻いているのは、
年端も行かない可憐な少女。
でも、彼女の右腕はどこにもない。
父親の腕に抱かれ担ぎ込まれてきた赤子は、
血糊にまみれ、その四肢は力なく垂れ下がったまま、
その口は、もう息をしていない。
誰のために傷ついたのか。
誰のために死んでいくのか。
その理由もわからぬまま、
自分が生まれた意味さえ知らず、
彼女たちは薄汚れたベッドの上で、
小さな命を消耗していく。
あなたの戦に大儀はあるのか。
愛を説くあなたの神が頷くほどの、
彼女たちの命を贖うほどの、
大儀をあなたはもっているのか。
この国にも、
声高にあなたの大儀、おのれの大儀を説く人たちがいるけれど、
あなたたちは、いま戦場で死に行く子らに
なんと言い訳するのだろうか。

2003.4.7

Something Great

この空を司るもの
遥か彼方が見えるようになればなるほど
小さなものが見えるようになればなるほど
理解できないことがさらに増えていくばかり
物質は不確実性でできているといい
既知の理論と観測される結果の齟齬の言い訳に
未知なるもの
観測すらできない架空のものに縋りついている
科学の進歩ですべてを支配できると思っていたのに
知れば知るほどこの世は人に支配できるものではないと
科学者たちはおぼろげにも考えているみたい
そこまで行くのに光の速度でも150億年かかるそんな世界を
どうやって人が支配できるのか
ヒトはこの世に生まれて
たった数百万年
1億年にさえはるかに届かない
不遜ではないのか
身のほど知らずではないのか

生きている次元の違いであるのかも知れない
たかだか数百万年の軌跡しか持たぬ幼いヒトに
この世をどれだけ推し量れるのか
今はまだ何も見えず何も感じ取ることもできない
ただ僅かに「違う」という結果だけは知っている
そしてそこにこそヒトの未来が広がっている

2003.3.16

初夏のゆらめき

風よ。
おまえは何処へ行くのか。
午後の陽射しのはざ間に駆けて
あまりに易々と
頬を染めた少女達を攫って消えた。
風よ。
おまえは何処へ行ってしまうのか。

光よ。
おまえは何処へ行くのか。
竦む心の氷を溶いて、
とけた川面に一滴
少女の涙を攫って消えた。
光よ。
おまえは何処へ行ってしまうのか。

春よ。
おまえはどこへ行くのか。
浮れた心の隙間に萌えて
素知らぬ顔で去って行く。
うたかたと
少女の瞳の閃いて。
春よ おまえは、
どこへ行こうとしているのか。

2002.4.25

春の兆し

狭い海峡を渡って
久しくその重い腰を据えていた冬は
いつしか去り
風の向きが変わった
打ち寄せる波は少しずつその鋭い牙を収め
やがて燦燦と降りそそぐ陽射しにキラキラと輝きはじめる
海岸通りの雑草の群れも
気持ちだけ背筋を伸ばし
全身に光の粉を浴びることだろう
それでもまだ吐く息は白く
人の身体を暖めるほどには光の粉も濃くはない
でもそれは確かに新しい季節を告げる凍てついた春の兆し

2002.3.10

予感

柔らかな厚い藁の中から
子ねずみが鼻先をのぞかせるように
春は
こっそりと顔を覗かせていた
ビルの谷間を抜けて吹く風は
仕事に急ぐコートの裾を乱すほど強いけれど
もう襟を立てる人はいない
刑執行人が突と罪人を鞭打つその手を緩めるように
太陽が寂しさに凍え頑なに閉ざした人の心を解きほぐすように
いま季節がその深い懐を開き
止めた振り子の埃を払って
再び時を刻み始めた
明日になれば
また吹く風は凝れ
舞い降る雪に指先を凍らせるかもしれないけれど
心にひとつ
昨日と違う灯りをひとつ
その手のひらに燈したようだ

2002.3.1

ときの加速度

秋から冬へと落ちて行く ときの加速度に
わたしのからだは奪われていく温もりを守る術を持たない
一雨毎にこの星の大地は熱を冷まし
果実を熟れさせ秋を装い
枯葉を纏い冬を待つのに
わたしのからだはうたかたと消えた夏に取り残されたまま
薄着の肌から徒に熱を奪われていくばかり
灼熱の光りは今はもうないのに
色の褪めた日焼けの後を晒して
季節の移ろいに気づかぬまま
呆然としていたのかもしれない。
わたしはまだ夏の夢から目覚めていない
夏の微熱は甘くけだるい

2001.10.29

思春期

木造の古い陸橋を渡ると
アスファルトが敷き詰められたプラットホーム
瞳をくすぐる午後の陽射しは
もう
とうに傾き始めていて
駅舎には夏の燃え残りのオレンジ色の陰が長く伸びていた
時折吹き通っていく風は
この駅舎の正面
国道を隔てた向こうにある
レゴブロックのおもちゃのような車寄せがある駅前桟橋から
濃い潮の香りをのせてプラットホームの奥のほうに流れていった
その先は艶やかな風の行き着くところ
みずみずしい光を放ち
ふんだんに水蒸気を含んだ潮風は
きらきらと輝きながら
柔らかな紺色の制服姿の背中に小さな渦を巻いては
その小さな肩の上で
行くべきあても知れずただ戸惑う僕の
恋と一緒に弾けて消えた。

2001.9.20

島影

幹線から続く長い登りの回廊を抜けると、
眼窩の狭い水道の向こうの
濃密な大気の底から、
輝く海と
深い緑に埋もれたわたしのふるさとが浮かびあがってくる。
晴れ渡る蒼空と、白い雲は今も変わらず、
遥か西方を眺めやれば、大きな島影が光に霞む。
鬱蒼と繁る草花の隙間から覗く街路は、
いつか細く短く姿を変えて、
気弱で泣き虫だった頃のわたしを真綿に包み、
異空の次元に連れ去った。
被い尽くす背の高いブッシュに、
かつて、整然と耕された畑が続き、
その向こうに通いなれた従兄弟たちの住まいがあったあの頃へ。
恐いものを知らず、疑うこともしなかった。
時として、神をも恐れぬ残忍さを持ち合わせた無垢の頃へ。
記憶さえも定かならぬ遠い昔に
あの家の軒下の隙間を抜けて、
やすやすと神の住まう森へ行ったように
道とは呼べぬ雑草の隙間に消え去った。

2001.8.3

Starry Night

天の川を見た。
漆黒の闇に降るような満天の星の群れを見た。
それが銀河の二の腕、
オリオン腕から見た風景。
その先は黄色く光るバルジを超えて、
遠く深く
星々の最期の超爆発が深淵たる底無しの暗黒を隠し、
スープのような塵の海が生まれたばかりの幼星の光を閉ざすその向こう
永遠の時を越えて
原初の点へと続いていく。
わたしという存在を形造る何千億個の粒子たちの生まれ場所。
あなたをあなたたらしめる無限に近い記憶の糸が
紡がれ始めたその場所へ。
上もなく、下もない。
まだ神も居らず祈りもなく、
光も生まれてはいず、
色さえない
ただひとつの一点へ。
連綿と流れる遺伝子大河の源流へ。
満点の星々が
遠く深く
私を導く。

2001.7.20

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